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2 オープンな世界

今日のデジタル時代では、情報を持つ者が未来を掌握する。このデジタルの世界で私たちはオープンかクローズドかの根本的な選択に直面している。オープンな世界では、情報を皆で共有し誰もが自由に利用できるようにする。クローズドな世界では、情報は独占的に「所有」され、コントロールされ、そこに付随する権力と富はますます集中し、経済、自由、文化、さらには健康への広範な悪影響をもたらす。

今日、私たちはクローズドな世界に生きている。それは権力と富が異常なほど集中し続け、独占という死の手によってイノベーションが押さえつけられ歪められている世界。欠かすことのできない医薬品を富裕層のみが入手できる世界。情報操作、排除、搾取によって自由が脅かされる世界。1つ1つのクリック、1つ1つの行動が監視されている世界だ。

一方でオープンな世界では、統計や研究から新聞記事や書籍、ソフトウェアや映画、音楽や医学など、あらゆるものを一次利用し、楽しみ、二次利用することによって皆が豊かになる。オープンな世界では、知的財産独占権の代わりに市場主導の報酬権を使用し、イノベーターとクリエイターにより公正に報酬を支払う。

デジタル技術は進歩するにつれ、自動車の製造から予定を立てることまで、以前は人がやっていた多くの仕事をやるようになった。そして数十年後、「AI」(人工知能)は私たちの車を運転するだけでなく、法的契約書の作成や、手術を行っているかもしれない。一見すると私たちの退屈な作業や日常的な作業を、機械が人間の代わりに、より正確に実行することになれば得をすることが多いように見える。将来的には、子育て、外国語の勉強、スキューバダイビングなど、私たち一人ひとりが重要だと感じることに専念する時間が増えるかもしれない。

しかし危険なのは、ロボットが情報(ソフトウェアやデータアルゴリズム)に基づいて行動する点だ。なぜなら、現在この種の情報の「所有権」は非常に不平等だからだ。またこれらが知的財産権というクローズドなシステムによって保護されていることや、コストの掛からないコピーやプラットフォーム効果のおかげで不平等は拡大しつつある。現代社会における情報技術の重要性がさらに増す中で、富と権力のバランスはより上位に属す人に偏りつつある。しかし私たちは「オープンネス」を選ぶことによって、未来が1%の人々だけでなく全ての人々にとってうまくいくものにすることができる。

今や世界の主要産業は情報の生産と管理だ。そしてこれらのプロセスにおける富と権限は危険なほどに集中しており、その傾向はますます強まっている。世界で最も裕福な5つの企業は全て情報技術をベースとしている。これらの企業自体が、創業者と投資家からなる小さなグループが株式の大部分を所有する、世界で最も不公平な所有構造となっている。

技術が加速するにつれて、日常生活や経済において重要な位置を占めるであろう新しいタイプのアプリケーションや経験が生まれている。たとえばバーチャルリアリティは現実の感覚や印象の多くを再現することができ、すでにさまざまな形のトレーニングに用いられており、さらに将来的にはレクリエーションでの利用範囲が広いと考えられる。バーチャルリアリティがFacebookのような独占的なものになれば、私たちの自由を損なうこととなるだろう。同様に、いわゆるIoTも急速に成長している。幼児の見守りカメラ、照明システム、セントラルヒーティングなど、すでに多くの家電製品がインターネットに接続されているがこれらは始まりに過ぎない。今後数年間で、何十億ものデバイスが接続されるにつれて、マシン間のデータが人間のデータの使用量を上回り、インターネットの主要なトラフィックになる可能性がある。この転換を一つの大企業の手に委ねるのは危うい。

最も極端な例では、現在の状況は自由社会の規範を脅かす。自由企業と自由市場は国際的な独占に直面して崩壊しつつある。選択肢が1つしかない場合、自由選択はほとんど意味がない。さらには私たちの考え方や行動を操作することのできる力によって、私たちの政治的自由と思想的自由さえも脅かされている。私たちは皆こうした事態に憂慮すべきだ。Cambridge Analyticaのような最近のスキャンダルから得られた証拠は、こうした懸念がますます共有されつつあることを示している。

しかし、世界を動かしているソフトウェア、全ての富、クローズドな資料、世界の文学、芸術、アルゴリズムなど、現在生み出されている全ての情報を皆に公開すれば、私たちは情報技術革命を民主化することができる。Googleが世界中のあらゆる書籍をオンライン化しようとしたことを憶えているだろうか。Googleでさえも著作権の侵害となるためこれを実行することは叶わなかった。しかしオープンモデルでは、すべての本だけでなく、すべての音楽、ニュース、天文学、海洋学、市場価格、詩、製薬、西洋古典学など、デジタル化できる世界の全ての知識と富でこれを実現することができる。人類の進歩によって生み出された価値は、少数の人々に集中するのではなく、人類全体によって共有されることになる。オープンネスは、情報力の独占の問題を解決し、競争を促し、透明性を向上させ、イノベーションの可能性とインセンティブを高める。この新しいアプローチは全ての特許や著作権のある資料を自由に利用できるようにすると同時に、クリエイターたちに対するさらなる公平な支払いを可能とする。

これに伴うチャンスと危険はいずれも大きい。楽観主義とオープンネスを選択することは、21世紀の最も重要なポリシーのひとつだ。資本主義が生み出した企業と、社会主義が理想とする公平性を結びつけ、両方の政治哲学を超えた未来を創造し、私たちの社会を変革する、全ての人にとってより良い世界を築くチャンスなのだ。そしてこの前例のないチャンスは、特異で新しいデジタル技術である、コストのかからないコピーに基づいている。

物理的なものには残念な制限がある。それは、一度に1つの目的にしか利用できないということだ。例えば、私が今自転車で会社に向かっていたとしたら、あなたはその自転車を使ってお店に行くことはできない。経済学者が言うように、物理的なものは使用する際に「競合」するのだ。この事実はあまりにも明らかなので私たちはあまりそれに気づかないが、かなり重要なことなのだ。それは物理的な商品の世界が、希少性の世界であることを意味する。ニーズを満たすためのモノが足りない、という状況があまりにも多いのだ。

今日の世界の社会の大半では、この一度に一人だけが使えるという物理的な事実に基づく私有財産のシステムが形成されている。この独占的な使用の事実と一致する形で、私たちは物理的なモノの社会的な管理を独占的に行っている。あなたが家を所有している場合その家に誰が住むかはあなたが決め、また法律は世の中の、限りのある、競合性のある物理的資源に基づいている。

今までこのシステムは、これまで試行されてきた他のシステムよりもうまくいってきた。私たちの考え方の根底には物財があるため、本来属しているはずではないものの、物財と同じカテゴリーに、「知的財産」という旗印のもと情報を分類しようとしてきた。しかし実際は、情報は根本的に異なるのだ。無限の広がり、非競合性、複製可能性という特異かつ重要な性質を持っている。あなたが夕食中、友人にジョークを言った時、彼らはそのジョークのそれぞれの「コピー」を持つようになる。情報は有形財産ではないし、有形財産のように扱われるべきでもないのだ。

デジタル技術はこの情報の特性を別の次元に引き上げる。写真であれ、アプリであれ、シンフォニーの演奏であれ、一度デジタル化してしまえば情報は実質的に無料で好きなだけコピー可能となり、誰とでも共有することができる。物理的なモノとは異なり、情報は需要を満たすために並大抵ではない再生産が可能だ。これはこれまで経済の基礎となっていたものとは異なる。この変化した時代には、それに対応したルールが必要だ。独占的な財産権は、物財においては「一人の使用者、一人の所有者」という希少性と競合性から生じる性質があるため意味があった。しかしデジタル情報はこれとは違い、その豊富で競争の生じない性質は独占的である必要がないことを意味する。つまりオープンであることが可能なのだ。

オープン・レボリューションへようこそ。