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10 オープンネス:最良の薬

特許や著作権は、もちろん理由があって存在しているものだ。そこで、ひとつの決定的な例を見てみよう。特許は新薬の研究開発をサポートする。新しい医薬品を形にし、試験することは非常に費用がかかる。独占的な保護がなければ、と典型的な主張では説明されるのだが、競争(他の製薬会社による医薬品の模倣)は薬価をあまりにも低くしてしまうために、先駆的な会社による実質的な投資に対するリターンはごくわずかか、何もないということになってしまうだろう。高いリターンへの期待がなければ企業と彼らへの投資家はそもそも研究への高額な投資をしないかも知れず、高額な医薬品の代わりに私たちは単に何の医薬品も手にしないということになるだろう。

この論理は間違っているというわけではないが、見当違いだ。新薬の開発に資金を提供するのに、イノベーターに報酬を与え、イノベーションを活性化する特許よりももっと効果的な、オープン性とも相性のよいやり方が存在する。医薬品を製造価格で全ての人に提供しつつ、医療のイノベーションに現在のレベルか、何ならそれ以上のレベルの資金を提供することができる。

いずれにせよ、今日の状況は満足できるものとは言い難い。多くの国では医薬品の高い価格は日々の懸念事項になっており、多くの人が無料の処方薬を手にしているところでさえも、彼らはその高い価格を税金を通じて支払っている。アメリカ人は2016年は医薬品に4,000億ドルをつかった。これは男女、子どもを含め病気であろうとなかろうと、一人一人につき1,400ドルになる。そしてこの平均値は実際に病気にかかった人が何万、あるいは何十万ドルもの支払いをしなければならないという日々の現実を隠してしまう。何百万ものアメリカ人は彼らが必要としているものを購入するのに苦闘しており、一部の人は医薬品の不足によって死亡してしまいさえする。そしてもし地球でもっとも裕福な国の市民が医薬品を買えないのであれば、もっと貧しい国々や感染症に直面した国々の苦難がどのようなものであるか、想像してみて欲しい。

アフリカと他の地域に大きなダメージを与えた1990年代と2000年代のエイズの流行の間、主要な抗レトロウィルス療法はどれも、Pfizer、GlaxoSmithKline、Boehringerなどの大手多国籍製薬企業の特許になっており、そのためほとんどの患者や政府が購入するには高すぎる価格になっていた。南アフリカでは、基本的な治療は2002年時点で一か月あたり2000ランド(250米ドル)だったが、当時の一人当たりGDPは一か月あたり250米ドルだった。この価格を維持するために、これらの企業はジェネリック版の製造を許可することを拒否した。何万人もの人々が死亡しており、キャンペーンの推進者たちは変化を求めて必死だった。

2002年、治療アクションキャンペーン(Treatment Action Campaign)のメンバーたちは、南アフリカ競争委員会に苦情を提出した。原告の筆頭者はHazel Tau、ソウェト出身の独身の女性で、彼女は一家の大黒柱だと提出書類に記した。

私は1991年にHIVに感染していると診断を受けました。…2002年の4月以来、体調がすぐれません。日和見感染が増えてきています。…肺の感染もありました。肺炎である疑いがありました…体重も激減しました。2000年までは75キロぐらいの体重でした。それから25キロ減りました…CD4が200以下に降下したため、治療を受けなければなりません…アンチレトロウイルス療法が必要です。ですが、このために一か月2000ランドを払うことすら私にはできません。もしもアンチレトロウイルス薬品が一か月あたり400-500ランドまで減れば、私の今の給料でも支払うことができます。いくらかの物事を犠牲にしなければならないのはわかっていますが、この治療が私を助けてくれ、私を健康に保ってくれることを私は知っています。私は製薬会社がこのアンチレトロウイルス治療につけている価格を払うことはできません。

ここでテクノロジーに関する消費者のプロジェクトにいるJamie Loveと彼のチームが再び登場する。医薬品の高い価格、特に途上国の抗レトロウィルス薬はJamieが長年大きな懸念を持っていたことだった。そして彼は南アフリカの競争委員会に、この件の経済的な側面についての専門的な証拠を提供した人々の一人でもあった。合計すると彼は単独または共同名義で6本の専門家の意見書を書いた。

2003年10月16日、競争委員会は大手製薬会社に不利で、Hazel Tauと、他の数十万のエイズに苦しむ人々に有利な判断を下した。

製薬会社のGlaxoSmithKline南アフリカ社とBoehringer Ingelheim社は1998年競争法に違反した。両社はアンチレトロウイルス市場における支配的な地位を濫用したと判断された。

この判決の結果、主要な製薬会社はジェネリック品の製薬会社に対して特許の許諾を合理的な条件で提供することに合意した。南アフリカだけでなくサハラ以南のアフリカ全域に対して。薬価はすぐに低下し、下がり続けた。2000年から2014年までの間に価格は99%ほど下落して100ドル程度にまでなったと国境なき医師団は推計しているが、これはこの勝利に負うところが大きい。

これは特許の独占を取り除いた例だが、独占を導入することのコストについての驚くべき例がある。1994年TRIPS合意までの20年間に渡り、インドは医薬品の特許を禁止していた。1 しかしながら、インドも加盟国であるこの合意の下では、医薬品に対しても特許の保護は提供されなければならず、権利者に価格をつりあげることを赦さなければならない。その時点までは、特許なしに、インドのどの企業も医薬品を製造することができた。そして彼らは実際製造していた。インドにはジェネリック薬品の産業があった。それらは特許がなかったので、誰にでも(えてして魅力的なブランドを持たない類の者にも)製造可能だった。医薬品は安価で、貧しい人でも購入することができたが、理論的には元々の発明者の手にする収入は少ないという事を意味していた。インドは従って実際にこれらのトレードオフについてのよい試験例であり、キノロン系と呼ばれる主要な抗バクテリア剤類についての事例研究のおかげで、私たちはいくつかの数字を手にしている。2

論文はこの1セグメントだけで国にとってのコストは年間3万5000-5万ドルと見積もり、それが主には消費者に、一部は国内の製薬会社に降りかかるとした。だが、この特許がその権利者にもたらす利得は年間5000万ドルにしかならない(特許権の保持者にとっての利得は消費者にとってのコストのごく一部にしかならないが、これは価格の増大が売り上げの減少を意味し、この失われた売り上げは医薬品を得られない消費者と収入が得られない製薬会社と両方にとっての損失になるためだ。これは経済学者が死荷重損失と呼ぶもので、この事例については非常に適切な用語になっている。というのも医薬品へのアクセスが得られなくなることは文字通り死を意味しうるからだ。)そこでインドにとって、特許の独占を導入することによる正味のコストは年間5万から4万5000ドルだったことになる。そしてこれは金銭的な数字に過ぎない。悲惨さのコストを考えてみて欲しい、治療を受けることがもはやできず、病気が長びいたり、寿命が不必要に短くなってしまう人々の悲惨だ。

医療の特許は、何百万人にとって金銭的かつ実生活上の深刻な帰結をもたらす。だが、大手製薬会社の議論、特許は研究のためにかけた費用やとったリスクについて必要とされる報酬に過ぎない、という議論はどうだろうか。特許制度がなければより少ない医薬品しかなく、治療を受けられない人はずっと多くなるだろう、という議論は。こうした議論も検討が必要だ。というのも私たちが現在手にしているイノベーティブな医薬品はどれも、政府の資金提供を受けた研究室での成果から始まっている、そして多くはそのような場所で完成しているからだ。これは特に私たちの最大の進展、パスツールの細菌理論からフレミングのペニシリンの発見まで、更には今日の遺伝子治療と予知医学についてまであてはまることだ。アレクサンダー・フレミングの仕事は公的機関によって資金が賄われていた。従って彼はペニシリンの発見を隠すことも、特許をとることもしなかったが、公表し、誰でもテストし、利用し、創作の元にし、何百万人もの命を救うのに役立てられるようにした。

同じ原則によって、公衆が集団として支払って成り立っている現在と将来の研究は、普通はオープンに開示されている。そしてこれは大きな割合を占めているーー世界の医学分野の研究開発の半分近くは、政府によって直接資金がまかなわれており、基礎研究についてはその割合は更に高くなる。それに加えて、ユネスコは2012年にプライベートセクターの非営利資金によってまかなわれている米国の医学分野の研究開発について推計し、150億ドルを少し下回るとした。これは非常にリッチな個人によるメガフィランソロピーと、特定の病気についてのチャリティ団体などの多数の小規模の寄付の合計とを共に含んでいるが、そのほぼ全ては、オープンに公刊されている。3

Jamie Loveが南アフリカの競争委員会に提出した報告書のひとつは、研究開発のコストを調査したもので、コストは最終的に特許を取得する企業によって負担されているという前提に疑問を提起したものだった。この前提は稀にしか成立しないと彼は論じ、HIV/AIDSのような病気への医薬品については特にそれがあてはまるとした。例えば、最も重要な抗レトロウィルス薬のひとつAZT(レトロビルとして売られているもの)の特許は、Burroughs Wellcome社に1987年によって取得され、GlaxoSmithKline社がBurroughs Wellcome社を買収したことで同社に取得された。Burroughs社はAZTの開発の主な貢献者を名乗ることに躊躇を見せていないが、事実はこれよりもかなり複雑だ。

特許は1987年に取得されているが、この医薬品はミシガンがん財団のJerome Horowitz博士によって米国政府の助成金の支援を受けて1964年に最初に合成されている。動物のレトロウィルスに対する利用は1974年に最初に示されたもので、Max Planck InstituteのWolfram Ostertagがこれも政府の資金提供を受けて行っていた。(この資金は米国のものではなかった。)その次は、AZTがHIVのようなヒト免疫ウイルスに有効かどうか、どのような条件下で有効かを探る最初の試験を含めた決定的な臨床研究であった。これもまた政府に資金提供を受けた米国の研究者達によって実施されており、この時はデューク大学の国立がん研究所だった。これらの研究者は誰もBurroughs Wellcomeから資金を受けていなかったが、AZTを人間のAIDS患者に投与した最初の研究者であり、患者の臨床薬理学的研究を最初に実施した。

1989年9月に何人かの重要な科学者たちがNew York Timesへの書簡で述べたように、AZTの開発のほとんどすべてが公的資金を得て実施されただけでなく、実際にはBurroughsは最終段階で開発を遅らせすらした。彼らの指摘によると、臨床的な効果を示すことは国立がん研究所のスタッフとデューク大学のスタッフの協働によって達成されていた。これらの科学者はBurroughs Wellcome 社で働いてはいなかった。彼らは公共の健康に関する緊急事態への対応として他の重要なプロジェクトの計画変更や資源を必要とするような、調査担当者によって始められた研究に従事していた。実際のところ、AZTの開発に関する主要な障害のひとつは、Burroughs Wellcome社が活性のあるAIDSウィルスを扱わず、AIDS患者からのサンプルを受け取ろうともしなかったことにあった。

効果のある医薬品と数十年の研究結果を提供され、Burroughs Wellcome社は規制機関である米国の食品医薬品局(FDA)の承認を得るための最後の一連の臨床試験を実施しただけだった。そしてこれに関しても、彼らは支援を受けた。米国では、AZTは「孤児」医薬品(規模の小さい患者人口のために使われる医薬品)の指定を受け、臨床試験のコストはBurroughsへのタックスクレジットの形で政府によって半分賄われた。

オープンなシステムの下では、納税者から支払いを受ける研究者によるものを含め、他人によって多くの割合がなされた仕事に基づいてBurroughs Wellcomeが巨大な価値を持つ特許を認められるということはなかっただろう。その代わりに、公的資金を受けた研究開発と同じように私的な資金の提供を受けた研究開発もオープンになるだろう。科学は誰でも利用できるように提供される。医薬品の製造は制限されることなく競争があり、これは今日のジェネリック医薬品と同様に価格を製造コストに近づけることになるだろう。情報へのオープン・アクセスはより多くの科学者を知の最先端の領域で仕事をするように後押しし、病気や障害により早く取り組むように後押しするだろう。

だが、これらの社会的な利益は、製薬会社を貧しくするわけではない。これらの企業は彼らの成果に対して報酬を得続けることになろう。というのも彼らのイノベーションを特許化する代わりに、彼らは報酬権を申請し、その権利は、実際に医薬品を製造したのが誰であるかに関わらず、イノベーティブな医薬品の健康上の利益に応じて、中央基金からの支払いを受ける資格をこれらの企業に与えることになる。

医学において意味があるのは、根本的には個人や集団の健康を増進することだ。これは実際に人命を救うことの場合もあれば、単に痛みを和らげたりや障害を回避することで生活の質を改善することの場合もある。私たちの目的は、こうした目的に割り当てる資源がこうした改善を最大化させるような形で使われることの確保にあるべきだ。私たちは、従って、誰が特定の医薬品を使うかだけでなく、彼らの健康にもたらされると推定される利益(少なくともその平均値)も確認する必要がある。このようなやり方で支払額を結果に連動させるためには、異なる治療法の間での比較を可能にするような標準的な評価枠組みが必要になる。たとえば、稀なタイプのがんへの治療で30歳以下の100人の人々の命を救うようなものと、別のがん治療法で平均年齢65歳の人々を200人救うものとをどうやって比較することができるだろうか?

一つの答えは、質調整生存年(Quality Adjusted Life years、QALYs)

という見苦しい名前で知られるもので測定することだ。これにより、ある治療法を、その治療法が提供したと考えられる「生存年」数とそれらの質によって評価することを可能にする。そこで、ある治療法が30歳の人の命を救い、その人が後40年生きると期待されるなら、それは40QALYsの価値を持つことになり、別の治療法が65歳の人の命を救い、その人の余命がたった5年であれば、その価値は5QALYsになる。様々な度合いの障がいを防ぐ治療法の場合にはQALYsの値はその度合いに従って重みづけされる。4

オープンなルールの下では、異なる権利者への報酬支払い基金からの支払いの配分割合は、投与された人の数にQALYsで表される患者一人当たりの恩恵をかけて計算する健康への恩恵の割合になる。5 報酬権を多様な医薬品のもたらす恩恵に直接関連付けることによって、このシステムはターゲットを絞って社会に利益をもたらす研究へのインセンティブを作る。そして同時に、医薬品の低い価格は、治療への劇的に拡大されたアクセスを患者にもたらす。

考慮すべき重要な点は、これらの配分は、報酬権によってカバーされている情報の再利用になるということだ。研究は積み上げ的なプロセスであり、AZTの事例が鮮やかに例示するように、新しい医学的な治療法を生み出すイノベーションは、通常は過去の研究を下敷きにし、取り入れている。オープンなモデルの下でこれがどのように扱われるかを考えることは重要だ、というのも、インセンティブが激しく歪んでしまい、資源が誤った人に誤った目的で配分されることにもなりかねないからだ。

現行の特許制度の下で生じる派生的医薬品の問題を考えてみて欲しい。WorkedALot社の研究者たちが糖尿病への新薬Diaxを作り出したと想像してほしい。彼らは特許を申請し、取得する。そして別の会社DerivativesIncが、Dioxと呼ばれる少し安価な変種を開発し、これにも特許が与えられる。もしもWorkedALot社をおしのけてDerivativesIncにほとんどの報酬が行ってしまうとしたら、それは正義にもとるし、イノベーションへのインセンティブを減らしてしまうだろう。画期的で費用のかかる研究をしたのはWorkedALot社なのだから。そこで、現行の特許法の下では、このような派生的発明は元の発明者から許諾をもらわなければならないようにする仕組みと、紛争解決のシステムとが存在している。このモデルは報酬権のシステムの下でも、ひとつの大きな違いを除いて、採用されることになるだろう。報酬請求の場合は、許諾がなくてもDerivativesIncが研究を実施し自社の医薬品を発売することを妨げることはない。(といっても後の調停においてWorkedALot社に将来の収入のほとんどが与えられることになるリスクを冒すことにはなるが。)特許は、対照的に、完全な排除を提供すると解釈されるのが普通だ:許諾がなければ再利用をする人は損害賠償責任を負い、なすすべはないー特許を侵害するかもしれないと知りつつ実行してしまうなら、意図的な侵害についてのより厳しい損害賠償のリスクを負うことになる。

民間資金によるものであれ国家によるものであれ、全ての研究をオープンにすることは、単一の国としてはとてもよいことのように思われるかも知れない。だが、それはフリーライダー問題を提起することになる:もしも米国の公的資金による全ての研究がオープンであれば、他の国は研究に投じる金を節約し、米国の研究成果を利用するのではないか?南アフリカ政府がHIVについての米国の研究に完全に依存し、自分達では全く資金提供をしない、ということを防止する要素があるだろうか?6 まあ、知的財産に対する執着が強まっているこの時代にあってさえ、この問題を解決して、企業の保護ではなくイノベーションとアウトカムに政策の焦点を戻すためのひとつの方法は存在している。

解決策は、国際的な合意で、その下で国々が医療研究への最低レベルの資金提供に対してコミットするというものだ。(例えばNATOの加盟国が防衛費について行っているように。)もっともシンプルな形としては、それぞれの国が、たとえばGDPの0.5%を割り当てることに同意する。もっとも、国によってそのパーセンテージ(および総量)が異なるという風になることだろう。裕福な国は高いパーセンテージをコミットするだろう。国々は報酬権を相互に認め合うことに合意し、ある国で登録された報酬権は、医薬品が命を救ったり苦難を減らしたりした他の国々の報酬権基金から報酬を受け取ることになるだろう。

これはほとんど、メディカル・イノベーション条約としてJamie Loveらによって提案されたものと同じだ。フリーライダー問題に取り組むのと同時に、このような合意は、看過されがちな領域のより体系的な国際的優先づけを可能にすることもありうる。現時点ではマラリアと闘うよりも多くの資金が加齢の徴候を減らす医薬品探しに毎年費やされている。しかし毎年50万人以上の人々がマラリアで命を落としており、一方皺によって命を落とす人は一人もいないのだ。裕福な国の人々はマラリアに影響を受けることはないが加齢については多くの関心を寄せるため、大手製薬会社の医薬品研究は致命的な病気ではなく虚栄心を満たすことの方に向けられることになる。国際的な合意を通じて、例えばGDPに対する割合として各国の資金拠出のコミットメントを計算して研究投資を重みづけすることによって、これらの顧みられない病気に研究を集中させることも可能だろう。

現在のところ、残念ながら、医学研究についてのそのような合意について交渉が行われたことはない。だが、この10年の間にいくつかの大きな勝利があった。Jamieらが1990年代末に医薬品へのアクセスの問題に取り組み始めた時、途上国の人々で効果的なHIV治療を受けているのは1万人以下だった。この数字は現在では1000万を超える。自主的、時に強制的な特許ライセンス提供を通じた必須医薬品の提供が価格を低下させたお陰だ。何千、もしかすると何百万という人々が、Jamieと恩恵を受けている人々が耳にしたこともないような情報政策分野での彼の同僚たちの取り組みのお陰で、今日生存している。

メディカル・イノベーション条約は採択されなかったが、研究開発への異なる資金提供モデルの青写真であり続けている。これは、これに類する提案と共に、オープン性とフリーライダー問題の解決を結び合わせつつ、市場メカニズムと事前の資金提供の恩恵を受け続ける、情報時代の未来にとって不可欠なものだ。そのようなモデルは、国際的な合意に依存するが、フリーライダー問題への現在の解決方法である「知的財産」への独占の許可と言う方法もその点は同じだ。しかもこの独占は、今回はDonald Trumpのアメリカが署名しなかったものの、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)によって再度延長されるところだった。

  1. 厳密には、インドには医薬品についての製品特許はなかったがプロセス特許はあった。薬のレシピについての特許は存在していなかったが、企業は特定の、薬を作る新しい方法については特許を登録することができた。 ↩

  2. Shubham Chaudhuri, Pinelopi K. Goldberg, and Panle Gia, Estimating the Effects of Global Patent Protection in Pharmaceuticals: A Case Study of Quinolones in India, Yale Working Papers, 2003; repr. American Economic Review, 2006. ↩

  3. 学術研究に対する伝統的な国家の資金は取り組みに対して支払われるものであり、特定の成果に対してではない。研究者には研究のアプローチを部分的あるいは全面的に決める自由が与えられており、特定の目標を達成することには直接依存していない。これは基礎研究(非常に長期に及ぶことがあるという性質がある)やリスクが高い研究(ほとんどは何の成果もでないかネガティブな結果しか生み出さないがたまに大きなブレークスルーを生み出すために価値がある)に資金を提供する際に特に有効だ。この種の資金は研究と教育の両方をしばしば想定しており、それは教える側にも教わる側にも望ましいことであり、それ自体が一種の長期的な投資にもなっている。結果は予想できず、数量化することが非常に難しいが、素晴らしいものにもなりうるし、全ての学問分野の多くの偉大な達成を含んでいる。 ↩

  4. 命を評価するこのシステムは、たとえば宗教的な教えや、国連の人権宣言の精神などにあるような、全ての命が平等であるという原則に反しているとして批判されてきた。これらは本物の反論だ。特に重みづけについては明らかに議論の余地があり、知の進展と共に改訂されることになるだろう。だがQALYsはある人の命の価値の尺度ではない。これは統計の道具で、少なくとも医学的な介入の価値について評価する体系的な方法を提供する。私たちは優先度についての判断を避けることはできない(現に判断を下している)、そこで何かの尺度を持っている方が、何もないよりはよい。 ↩

  5. 基本的な計算式への洗練としては、患者が少ない稀にしか発生しない病気の扱いに関して、健康上の優先順位乗数を計算式に組み込むという事が考えられる。 ↩

  6. この問題はオープンモデルに限ったことではない。著作権や特許のような独占権を含め、情報の生産にどのように対価を支払うかについて採用するアプローチに関わらず、これは存在している。例えば、ある国が隣国の特許や著作権を認めない場合、コスト面に貢献することなくお隣のイノベーションとクリエーションの努力から恩恵をこうむることができる:彼らは製品を使うが、権利者に対する要素を含まない、より低い価格を払う。 ↩