3 情報とオープンネスの定義
中国北西部のゴビ砂漠の端には敦煌の町がある。この町は何百年もの間、ヨーロッパから中国を結ぶシルクロードを旅する者にとっての主要な停留所だった。都市の外にある崖には隠された洞窟があり、千仏洞と呼ばれる古代の聖地の一部が存在する。この洞窟は敦煌の北にある西夏王朝に脅かされた西暦1000年頃に封鎖された。洞窟の存在は忘れ去られ、千年もの間この場所に人が訪れることはなかった。ところが1900年のある日、崖を探索していた若い僧侶が封印された入り口を偶然発見したのだ。
その中には宝の倉庫があり、4万点以上の絹、紙の巻物、写本が砂漠の乾燥した空気によって完璧な状態で保存されていた。中でも最も貴重なものは、7つの黄ばんだ長い紙でできた長さ5メートル近くある紙の巻物だ。この巻物には仏教において最も重要な経典の1つである金剛般若経が書かれている。1907年にゴビ砂漠を探検していた探検家のSir Marc Aurel Stein(オーレル・スタイン)がこれを持ち帰った後、現在は大英図書館で保管されておりオンラインで閲覧することができる。
この巻物が貴重な理由はその内容ではなく、その形態だ。書かれている文字は手書きではなく、中国がグーテンベルクの千年前に発明した木版印刷によって文字が印刷されているのだ。驚くことに、巻物には868年5月10日という印刷の日付まで書かれている。これは最古の活字であると同時に、記録、保存、共有しようとする人間特有の願望の証でもある。
この巻物のさらに重要な特徴は、最後の献辞にある。そこには、「普遍的で自由な配布を」と書かれている。つまりこの巻物の文章は自由にコピーして共有することができ、共有するべきであるということだ。1000年以上も前に、人間に知られている最も初期の印刷された文章で、私たちは情報の自由でオープンな共有という基本的な考え方を明白に述べていた。オープンネスの考え方は、印刷が発明された時代にまで遡ることができるのだ。
情報を(特にそれが商業的価値をもつ場合)秘密にして、あるいは他の方法で制限して、クローズドにしておきたい衝動はそれと同じくらい古いと考えられる。「知識は力なり」という格言や、ホメロスのオデュッセイア、ヘブライ語の旧約聖書などの最古の文書は、情報を公開しないことが力となることの証拠でもある。トロイの木馬の目的をトロイア人が公開していたならば、それはギリシャ人に対して何の効果も持たなかっただろう。
私たちが「情報」について話す時、私たちは頭の中のあらゆる思考や言葉のすべてを指すのだろうか。あるいはより限定された、変化しない形で記録された思考やアイデアのみを指すのだろうか。
また、オープンネスというのは何なのだろうか。単に「秘密」の対義語なのだろうか。オープンな情報はユーザーに対し無償で提供されなければならないのだろうか。著作権やクレジットはどうだろうか。「オープン」な作品は、作者が認識されるように規定を設けることは可能なのだろうか。そして最後に、著作権や特許などの知的財産はどうだろうか。これらはオープンな情報とクローズドな情報とどう関係するのだろうか。
3.1 情報とは何か
Section titled “3.1 情報とは何か”私たちが普段「情報」について話すときは、知識、ニュース、指示、事実の詳細、数式などを指し、例えば曲や詩は含まない。しかしこの本の中では「情報」をより広い意味で使う。この本の中での「情報」は、デジタル形式で記録されたもの、あるいは(図書館にある書籍などの)デジタル化・長期保存が可能な形式で記録されたものすべてを指す。要するに、方程式、音符、モールス符号、機械コードなどを含む、あらゆる言語で書かれた、あるいは書くことのできるものすべてが「情報」だ。したがって、旅客機の配線図、人間のゲノム、空の星の位置、音楽、画像、物語といった想像に基づく作品など著作権が与えられる全てのもの、特許として登録可能な全ての発明が「情報」である。
この本では、これらの情報を可能な限り多くの人々に最大限利用可能にすることについて書かれている。なぜなら、富、情報、そしてそれを創造する機会が今や深く結びついているからだ。しかしまず最初に、本質的にプライベートな情報とプライベートでない情報の区別をしておく必要がある。極端な例をあげると、「リベンジポルノ」はネット上に公開することが可能ではあるが、その内容は本質的にプライベートなものだ。個人のメールや休日に撮った写真でも同じことが言える。プライバシーは、私たち自身が作成した情報にとどまらず、健康に関する記録、銀行の取引記録、スーパーで何を購入したかも含む。
プライベートな情報は、個人だけではなく政府や企業も持っている。企業の内部計画や内部管理は通常、法的にも道義的にも外部から利用可能ではなく、政府の文書も同様に、あるいはより厳格に制限されるだろう。時折スパイや不満を持つ従業員がプライベートな情報を盗み出し、販売、公開する場合があるが、これは正当な公開であるとは言えない。
一方で、出版された全ての書籍、全てのハリウッド映画、リリースされた全ての音楽はプライベートではなく、お金を払えば誰もが利用することができる。全ての医薬品の調合法、全ての研究および発明はお金を払えば誰でも利用できるため、プライベートな情報ではない。
個人情報をどのように管理するかは哲学的、技術的、政治的、法的に重要なトピックだが、この本の焦点ではない。この本は合法的にまたは正当に販売や譲渡が可能なプライベートでない情報に主眼をおいている。したがってこの本での「情報」とは、映画、医薬品、ソフトウェア、統計といった、商業的および文化的に重要な情報のほとんどすべてが含まれる。
今日、これらの情報の多くは合法的に、正当に共有することが可能であるにもかかわらず厳密に管理されている。また著作権法と特許法によって制限されており、価格を人為的に引き上げたり、アクセスを完全に拒否することで使用を制限し、イノベーションを妨げている。この本における主張は、従来の知的財産の独占権ではなく報酬権といったようなオープンネスと両立可能な、イノベーターとクリエイターが報酬を得られる仕組みによって、プライベートでない情報はオープンな情報であることができ、またそうあるべきだ、というものだ。
毎年数千ページと生み出される新しい情報の管理者であるElsevierのような学術出版を考えてみよう。その情報のほとんどが公的資金を受けた機関によって生み出されたものであるが、それらの情報をElsevierは数千ポンドという高い金額の壁の後ろに厳格に閉ざしている。[^1]
Elsevierは学術著者と学術読者の仲介者、つまりプラットフォームとしての地位を確立し、各分野の小さな独占者である多くのジャーナルを統制している。Elsevierのように独占的な力を行使し年々価格を引き上げることで、本来ならば自身が奉仕すべき学術コミュニティから搾取する出版社が増えている。一方で彼らはコンテンツと編集作業のほとんどを、労働(及び著作権)を無料で提供している、公的資金を受けた学者に頼っている。学者には選択肢がほとんどなく、「評判の良い学術誌」に投稿せざるを得ない。その学術誌の購読を強いられている図書館と同じくらい学者も拘束されている。
これらの独占的な行いは学術出版の評判を悪くしている。オープンな出版は、より柔軟で現代的で非独占的な代替手段を提供するだけでなく、記事の更新が容易にできるというアドバンテージを持っている。これらのシンプルな理由からこの学術誌のダムは崩壊するだろう。同時に、世界中の科学誌の出版による200億ポンドの収益だけでなく、オープンでないことで誰もが二次利用可能な状態でないことによる機会費用についても考えてみよう。生み出したものを非公開にしてしまう学術誌に科学者が投稿せざるを得ないことで、書かれることのない論文が存在し、躍進の機会が失われたり遅れるといったことも起きているのだ。
3.2 オープンネスとはなにか?一次利用・二次利用・共有する自由
Section titled “3.2 オープンネスとはなにか?一次利用・二次利用・共有する自由”では「オープン」とは何なのだろうか。オープンな情報とは単にアクセス可能であるということ以上のものを指す。普遍的かつ自由に一次利用・二次利用・共有が可能である情報のことだ。
これら3つは必須の条件だ。まず初めに情報がオープンであるためには、支払いなしで誰もがアクセス可能である必要がある。2つ目に、技術的にも法的にも自由に、目的に制限を設けることなく、二次利用が可能でなければならない。そして最後に、情報と、それを二次利用したものをすべての人と共有できなければならない。1
なにか新しいものを作る際、存在する情報をもとに創作するということは私たちの文化全ての基本だ。全く何もない状態から何かを作る人はめったにいない。すべての作家はほかの作家から学んだテクニックを使う(その作家を構成している、何世代にもわたって受け継がれてきた言葉については言うまでもない)。すべての画家は、真似をするか抵抗するかにかかわらず、ほかの画家から学ぶ。何かをすることを学ぶということは、既存のアイデアを新しいものに応用することを意味する。私たちが日常生活で使うほぼすべての物は誰かによって設計されたもので、その設計者も共同作業をしていたことだろう。完全にオリジナルで独立した創造物というのは驚くほどまれだ。アイザック・ニュートンが言ったように、「もし私が、より遠くが見えたならば、それは巨人の肩に立っているからである」のだ。
技術についてもあてはまるが、既存のものへの依存はより明白だ。例えばスマートフォンは何十年、何百年と蓄積されてきたあらゆる大きさの、何千、何十万といったアイデアやイノベーションを組み合わせたものだ。それぞれが組み込まれるにつれて技術は進歩し、地上のあらゆる場所に配置され、光ファイバーケーブルでつながった電波塔を通して回線に接続し、データのやり取りをすることができる。これらに組み込まれたアイデアは、様々な技術や知識を持った人々の貢献により成り立っている。
スマートフォンの技術にいくつのイノベーションが含まれているかを断定することは不可能だが、関係している特許は数えることができる。多くの特許が一度に使用される場合は、パテントプールと呼ばれるものに集約され、特許の実装が可能となる。このパテントプールは、製造業者が単一のライセンス料を払い、各特許保有者に分配される仕組みになっている。当然のことながら、特許保有者は自分たちの特許をプールの中に入れることを望むが、すでにプールに特許を入れている人たちは、プールに含まれる特許が多いほど各特許保有者の取り分は少なくなる、あるいはプロジェクトを継続するためにあまりに高額になってしまう可能性があるため、新規参入者を拒む傾向にある。それでは3G回線のパテントプールにいくつの特許が含まれるのだろうか。実は7500以上ある。つまり3Gは有効な特許、つまり20年以下の技術的なイノベーションを7500以上も組み合わせることで出来ているのだ。テンキーや様々な種類のプラスチックの製造などといった、より古い特許やイノベーションを含めるとすれば、3Gの技術に使われているイノベーションの数は計り知れない。
オープンであるためには、これら特許などにより網羅されている情報は自由かつ普遍的に一次利用・二次利用・共有可能でなければならない。自由と普遍性の2つの性質は調和し、お互いに補強し拡大し合う。一次利用・二次利用・共有する自由は、国境、富、目的にかかわらず全ての人に与えられなければならない。例えば、ある情報がアメリカ合衆国内でのみ利用可能であったり、その情報が商業利用できなかったり、もっと言ってしまうと軍事目的で利用できない場合はその情報はオープンであるとは言えない。ときに不愉快なこともあるが、普遍性はオープンネスを考える上で特に重要だ。ある音声認識ソフトの開発者は、そのソフトが爆撃ドローンに使用されてほしくないと考えるかもしれない。しかしこれは、例えばAppleが、Apple製のコンピュータをインターネットでの煽りや、テロリスト関連の映像の投稿に使用してはいけないという命令を出すのと同じくらい非現実的で監視しきれるものではない。オープンネスの力は、言論の自由のように、人々がそれを使う目的に関係なく利用可能であることにある。無数の制限を設けることはそのシステムを扱いづらくし、特定の条件を積み上げることは創造性にとって非常に有害なのだ。
3.3 クレジットの表示、同一性保持、継承
Section titled “3.3 クレジットの表示、同一性保持、継承”オープンな情報は、誰もが一次利用・二次利用・共有することが可能である必要があるが、そこには3つの重要な条件が適用される。それは、クレジットの表示、同一性保持、共有されているものは同様に共有されなければならない、というものだ。
クリエイターはクレジットの表示を求めることができる。これは、曲であれソフトウェアであれ、その作者に対して適切な方法でクレジット表示が行われる必要があるということだ。これは目新しいものではなく、現時点でも小説家、作曲家、写真家の作品にはクレジット表示が行われ、特許では発明者が表記される。クレジット表示の方法は作者の表示だけではない。映画のクレジットには監督、役者、そして貢献した多くの人々(ときにはお茶をいれたインターンまで)の名前が表記される。新聞は、使っている統計の表示を行う。これは法的な理由だけではなく、読者が引用元を求めるからでもある。言い換えると、クリエイターの名前をリストアップすることやソースを提供することは資料に信用を与える方法なのだ。もっとも入念にこれが行われている例として論文がある。出版される論文では、学者は先行の研究者の引用とクレジット表示を入念に行い、多くの場合他の人がそれらを追跡して確認できるように書誌が載せられる。
クレジットの表示をすることには複数の目的がある。その情報はどこから来たのか、もとの文脈での使用がみたい、といった疑問の検証や確認が可能となるという理由もあるが、一種の道徳的な理由もある。「これはXによって作成された」、「Yの作品を基に作られた」といった形で名前を明記し、認知されるようにするという理由だ。このようなクレジット付与とそこから生じる評価は心理的にも実用的にも重要だ。なぜならそれまでの達成できたことや評価をもとに仕事や資源が与えられる場合が頻繁にあるからだ。また数学的な突破口や、あるスケッチがコンスタブルのものだと初めて鑑定した学術論文など、製作者が直接稼ぐお金が少ないか全くない場合にクレジット表示はさらに重要となる。インターネット上でますます増えている、自由に配布されるオープンな素材についても特にそうだ。クレジットの表示は通常、情報を二次利用または再配布する人にほとんど、あるいは全く負担をかけない。
オープンネスが認める2つ目の条件は同一性の重視だ。「同一性」とは情報の規制に関する法的用語で、自分の作品が(無料であれ有料であれ)どのように使用・変更されるかの、製作者による統制を指す。同一性に関する議論として、例えば2006年にサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』のイタリア版の制作において、主役を女性俳優が演じることを阻止しようとした事例がある。しかし、この権利は作品の新たな使用を阻止するために行使することが可能であるため、オープンネスの真髄である自由と普遍性とは相反するものであり、オープンな世界ではより狭義に解釈されるだろう。情報がオープンであるとためには、同一性の要件は元の製作者に作品の再利用に関する拒否権を与えてはいけない。他の人があらゆる目的のために自由に使用できる必要がある。ただし、元の作品との相違点や関係を宣言、説明する法的な規定を要件として設けることは可能であるべきだ。
オープンネスが認める3つ目の条件は、継承の選択だ。継承の要件を含む作品を再利用する人は、自分が作った作品も同様にオープンに、継承の要件を含めて共有することが求められる。これによりオープンネスは何世代にも渡って継承される。
継承は、再利用が頻繁に行われる分野では特に重要だ。「継承」の概念は、1980年代にRichard Stallmanの功績により、ソフトウェア開発の分野で始まった。ソフトウェアの開発において再利用は頻繁に行われている。彼は自身の作品を無料でオープンに共有することで、他の人がそれを改変した場合に、改変したものを共有せず著作権で保護する可能性があるということを懸念していた。継承の要件はこの問題を解決する。また、このシステムが素晴らしいのは共有する人にとって負担にならないという点だ。このシステムには素材を次々にオープンの領域に取り込むラチェット効果がある。素材を利用した全員が3世代先、4世代先と継承要件を満たす必要がある。この継承要件はWikipedia、OpenStreetMap、GNU/LinuxやAndroidといった多くのオープンな情報についてのプロジェクトで採用されている。
しかしこれは、オープンに公開するということが純粋な利他主義で、見返りなしにものを無償で提供するということでは決してない。オープンに公開することに対し、現在の方法に比べてより公正で社会的に有益な方法で報酬を与えるメカニズムは存在する。これもオープンネスのビジョンの1つだ。ではまず、私たちの現状はどうなっているかを確認しよう。
Footnotes
Section titled “Footnotes”-
オープンの定義 (https://opendefinition.org/) に述べられているように、利用、再利用、再頒布はオープンネスの主要な3つの特徴だ。 ↩