12 実現に向けて何ができるか
オープンな世界を作るには協調が必要だ。デジタル技術により情報の自由な共有が非常に容易となっているため、情報の自由なやり取りを阻害することはできないと考える人もいる。しかしオープンネスは避けられないとする楽観的な考え方は技術と権力の相互作用を十分にわかっていない。利益団体のものであれ(政府を通した)公衆のものであれ、権力は、特に情報の分野において、技術がどのようなインパクトを与えるかを方向づけ制御する。たとえデジタル技術により情報が自由に行き来することを防ぐことのできない世界ができたとしても、情報の作成に誰がお金を払うかという問題が残る。ここで提唱するような新しい経済的な骨組みがなければ、自由な情報はむしろイノベーターの収入を奪い、イノベーションと創造性を妨げ、私たち全員が損をしかねないのだ。
自由市場に任せておけばオープンなビジネスモデルは自ずと普及するというのも誤った想定の一つだ。クローズドな世界でのオープンなビジネスモデル(やWkipediaコミュニティによる取り組み)は私たちが求め、必要とする情報のごく一部についてしか支払うことができない。新しい医薬品や映画といった多くの重要な情報財は、報酬権の存在しないクローズドな世界では明確なオープンなビジネスモデルを持たない。
このため、人々が行動する必要がある。そしてそれは、1. 市民に知らせ、関わってもらうこと、2. 政策の変更をロビーすること、3. 自分たちで構築すること、の補完し合う3つの形態で遂行されるべきである。最終的には国家的な、そして国際的な政策の変更が必要だ。並行して、ソフトウェア、データベース、その他すぐ効果の得られると同時にオープンネスの手本となるコンテンツや素材を個人やグループで作ることも可能だ。
(共有することの恩恵に気づくという)市民による情報の理解の根本的なシフトは、オープンな情報を公的に支援すること、支払いのプロセスを確立すること、法的な資格として、またライセンシングと紛争処理のメカニズムとしての報酬権を作ること、そしてオープンな政策を制定する国際的な合意形成を行うことへの政治的圧力を伴う必要がある。
政策の変更がもたらされる前に、共通の用語と目標を持つ、広範囲に渡るオープンなムーブメントが必要だ。今はそのどちらもが不足している。目標が達成されるためには、このムーブメントを支持する先駆的な個人や組織を必要とする。政策の変化を確保するために行われた他の取り組みの例として環境運動が刺激となるだろう。
環境汚染といった問題は古代ローマ時代にまで遡ることができるが、農業が中心だった社会では人間の環境に対する影響はかなり小さかった。産業化時代の到来と同時に環境に関する課題はより注目されるようになった。そしてそれはローマ人の、高尚なもの、自然の美しさ、工業都市の醜さへの関心により加速した。工業と都市化が進むにつれ水と大気の汚染が目に見えるようになったが、科学への不理解と、労働者よりも雇い主を重視する当時の政治制度により規制は非常に限られていた。20世紀に入っても、2つの世界大戦と、長期的に考えることができなかった政府の失敗により環境の改善は妨げられた。
1945年以降、科学の発達、間接民主主義の成熟、政府の社会福祉への関心の高まりにより環境への問題意識がようやく勢いを増した。富の増加により公園、きれいな空気、長期的な健康といった環境財の相対的な価値が増加し、それらを楽しむ余裕、それを求めるための投票の価値も増した。これらは1960年代前半に現代の環境運動に成熟した。1962年に出版されたRachel CarsonのSlient Spring(沈黙の春)がその象徴であり、運動を活性化するための触媒でもあった。この本はアメリカ中部に、化学物質の環境と人体への影響に警鐘を鳴らした。
環境運動が成熟するまで数十年かかった。しかし1990年代前半には環境団体のいくつかは数十万の会員と堅実な資金援助を獲得し、影響力のある政治勢力となった。彼らは独立した研究者と洗練された報道戦略を持っており、草の根レベルの運動を行い、そして主要な行政機関にロビイストを有していた。資金的には負けていたものの、大規模な環境運動(ビッグ・エンバイロメント)は大企業(ビッグ・ビジネス)と張り合うようになっていた。民衆の関心も高まり、「持続的な」や「緑の」といった単語が一般的になった。2000年のはじめには、車や家が「緑(グリーン)」であるという表現は、その色を指すものではなくなりつつあった。
しかしその間に被害の規模は拡大していき、人々はさらに大きな課題に注目し始め、その中でも気候変動は最大の課題だった。しかしExxonMobilであれサウジアラビアであれ、石油生産者は地球上で最も力のあるロビー組織であり続けている。そして現在も自身の利益を損なう恐れのある、気候変動に対する人々の行動を必死に阻止しようとしている。
この状況は情報を取り巻く環境と非常に類似している。情報の統制に関する議論は何百年も前からされている。例えば教会は、人々が聖書を読むことを恐れ、それを訳すことを禁止していた。そしてまた、機械設備や新聞といった情報財が経済的にも社会的にも極めて重要となったのも産業化が発端だった。しかしここでも政治的な議論は特定の利益者、特に情報の生産者と管理者によって占拠された。消費者といったより広い集団の声を届けるメカニズムは貧弱だった。情報が商業的に重要になりはじめていたが、その概念的な重要性を理解した人は少なかった。クローズドな独占権の効力が及ぶ期間と範囲が大きくなっていった。
20世紀後半、2つの新たな要因が登場した。デジタル技術の発明により情報が急増し、コストのかからないコピーが可能となった。そして政府の資金提供によって支えられたビッグ・サイエンスの成長により、公共圏での情報の生産が大幅に拡大した。しかし、経済と社会において情報が支配的になってからもなお、政治的な理解は乏しかった。オープンな共有に近いことは学術界隈と、まだ初期段階にあった情報技術産業、とりわけソフトウェアの分野では広く行われていた。しかしこれらは政治的な強い信念によって行われたものではなかった。
そしてようやく、1980年代と1990年代にオープンインフォメーション運動が動き始めた。Carsonの沈黙の春のような象徴的な出来事を上げるとしたら、それはおそらくRichard StallmanのFree Software Foundationにおける働きであろう。Carsonが殺虫剤の害について警鐘を鳴らしたのに対し、Stallmanは情報がますます私有のものになっていくことの脅威に警鐘を鳴らした。最初はプログラマーと科学者による小規模なコミュニティだった。パーソナルコンピュータと発達途中のインターネットでつながり、ラディカルな理想を囲み、情報と物理的なモノの違いを少しずつ考察していった。
情報に基づく政治(information politics)は、1986年に設立されたFree Software Foundation、1990年に設立されたElectronic Frontier Foundation、1999に設立されたFoundation for a Free Information Infrastructureといったグループと共に始まった。初期の頃から、例えば2005年のヨーロッパにおけるソフトウェア特許の棄却のような、いくつかの大きな功績を残した。グループの編成、再編成は続いたが、共通の言葉やビジョンは少なかった。インターネット経済に対する興奮は、情報時代における独占権の問題とオープンネスのポテンシャルに光を当てた。その代表例がLawrence LessigやJames Boyleといったアメリカの法学者だ。この時点ですでに企業のオープンネスへの対抗措置は強かったが、まだぎこちなく荒削りなものだった。
1990年に政府と篤志家によって資金提供が行われたヒトゲノム計画で見られたように、研究が商業的な関心や独占権に巻き込まれ始めたのをきっかけに、公共科学(パブリックサイエンス)もオープンネスの必要性に気づいていた。11年後にヒトゲノム計画が史上初のヒトゲノムの完全な配列を発表した時、それを完全にオープンな形で公開した。今ではそれが200億ドル相当のグローバルな産業の基礎となっており、さらにそのオープンさは珍しいものではなくなっている。今日、基礎医学研究の半分以上がオープンに公開されている。2018年の2月、アメリカと中国の研究者によるさらに野心的なプロジェクトの計画が始まった。BioGenome ProjectまたはWhole Earth Genomeと呼ばれるこのプロジェクトは、アメーバからシロナガスクジラまで、地球上の全ての生物種のゲノムを解析することを目指している。費用は数十億ドルと試算されるが、現段階では資金源の目処は立っていない。しかしそのような素晴らしいデータバンクが排他的でなく、それを使うかもしれない全ての人々に広く共有されるべきものであるということは政治家や科学者にとっては明らかだ。
世界の半分以上がネットに繋がっており、日常的に直に電子情報に触れている。しかし今でもなおオープンネスの共通の目標や言葉は存在しない。道行く人に「オープンな世界を望みますか?」あるいは「オープンな情報社会を望みますか?」と尋ねても、1975年に「グリーンな社会を望みますか?」と人々に尋ねるかのように、何の話をしているか検討もつかないだろう。オープンインフォメーションの運動はまだ一貫性がなく、体系化されておらず、グローバルな広報を行うグループ、共通の目標やプラットフォーム、統一されたアプローチも存在しない。「information politics」という単語もほとんど理解されていない。各政党によって発表されているマニフェストにもめったに登場しない。登場したとしてもイノベーションと知的財産権に関する定説を復唱しているだけだ。
もちろん、個人、グループ、企業が独占権が存在するパラダイムの中ですでにオープンな情報を作り出している。個人的な関心、公共心、そして知識とスキルを発展させ、実践したいという願いの組み合わせから起こったボランティア活動は存在する。例えばWikipediaや多くの小さなオープンソースソフトウェアのプロジェクトなどがそうである。1 関連する財を販売しながらオープンな情報を提供している企業も存在する。慈善的な支援は多くの分野で資金増加のソースではあるが、それらは統一されておらず、オープンネスを推進するために体系立てられていない。
社会がFacebookやGoogleといった企業の莫大な力に気づきつつあるが、多くの人がこれらの独占的な企業の構成要素を理解できていない。私たち自身が作り上げたルールが彼らを生み、存続させていることを彼らは理解していない。「知的財産」の独占がこれらの桁外れの力と富の集中を可能にしているということを彼らは理解していない。私たちは問題意識を広め、デジタル技術経済の仕組みへの誤った認識に対して異議を唱えなければならない。私たちには、電子情報とパンとは性質が異なるということを政策決定者、専門家、教育を受けた全ての市民が理解している世界が必要なのだ。
私たちは私的に所有された情報によって作られたクローズドな世界の危険性を説明しなければならない。私たちには情報経済と情報社会の理解に専念する研究機関と、進展を追跡し政策を策定するシンクタンクが必要だ。私たちには、物理的な環境の代わりに環境団体が活動を行ったように、オープンな世界を推進するための大規模な会員制の組織が必要だ。なぜなら会員制度により長期的な参加のための資源が提供され、変革の支持者が明確となるからだ。そして最後に、政策決定者がオープンな世界の可能性と必要性を認識する必要がある。なぜなら、集団的な政治的活動を通さない限り、私たちが必要とする大規模な改革を実現することができないからだ。
オープンな世界を実現するためにあなたができることについてもっと知りたければ、下のサイトを訪れて欲しい。
https://openrevolution.net/make-it-happen
Footnotes
Section titled “Footnotes”-
1 Wikipediaは素晴らしいボランティア活動ではあるが、はじめは商業的に始まり、さらに国の支出の恩恵を受けている。というのも、そのコンテンツの大部分は他の場所ですでに公開されている情報であり、その多くが国の支出によって支えられている学術機関(あるいはジャーナリズムといった商業的な文脈)によって生産されたものである。いずれにせよ、私たちが手に入れられるオープンなマテリアルの多くは政府と企業によって支えられてきたのだ。 ↩