9 Jamie Loveを紹介します
1994年のWTO(世界貿易機構)の設置は、20世紀のもっとも意義ある貿易協定だった。その協定は3つの主要なパートからなっていた。2つは古典的な貿易協定で、貿易障壁を取り除くことを目的とし、伝統的な物財(GATT)とサービス(GATS)の両領域を対象にしていた。ところが、3つ目の貿易協定であるTRIPSはかなり異質だった。TRIPSは貿易に関連する知的財産権の諸側面(Trade-Related aspects of Intellectual Property Rights)を意味していたが、この条約は貿易については奇妙なことにごくわずかしか語っていなかった。それは徹頭徹尾知的財産権に関するものであり、それらの拡張と強化に関するものであった。
TRIPSの組み込みに関して提供された理由は、他の2つの貿易協定に署名することによって、先進国、とりわけ米国とEUは自らの市場を低コストの開発途上国からの競争に対して開くことになる、というものだった。先進国はより安価な財から恩恵をこうむることになるとしても、その変化(貿易協定の締結)は、さらに多くの恩恵を途上国にもたらすだろう。その見返りとして、先進国はより多くを求めた。彼らの情報ベースの諸産業ーーソフトウェアから製薬までーーは彼らの経済で大きく成長中のセクターであり、物財であれば国境で止められるのに対してそのような情報の流通に対する技術的な障壁を築き上げることはほとんど不可能だった。そこで先進国は情報諸産業に対するより手厚い「保護」を求めた。この巨大な自由貿易協定の第三のコンポーネントは、したがって情報の流通を抑制することに捧げられた条約だった。TRIPSのおかげで、例えば、インドは薬品への製品特許を導入しなければならなかったし、米国は著作権法を変更・延長した。
米国の製薬業界のロビーなどの特殊な利害関係者がWTOパッケージの一部としてのTRIPSの起草と推進に重要な役割を果たした。この協定のインパクトは甚大で、経済的なものだけでなくグローバルな情報についての枠組みへの影響もあったが、公の議論はほとんど行われなかった。どうしてこんなことがありえたのだろうか。
近代の世界の困難は、その複雑さと相互のつながりによって更に深刻になっている。人間はこの問題と苦闘している。私たちは単純な解決策のある単純な問題を望んでいるのだ。だが私たちに直面する複雑性と私たちの世界を統治するルールーーそれらは権力を規定し、移行させるものだーーは現実問題としては不透明だ。これは私たちにとって当てはまるだけでなく、私たちの代表者(議員)達にもあてはまる。詳細な情報の海の中のジェネラリストたちは、ほとんどの場合、自分達がしていることがどのような効果をもたらすかについて知るすべを持っていない。
私は、2005年に欧州議会でソフトウェア特許指令についての最終投票を見たことを思い出す。投票の日、そこではそれぞれの党が「投票リスト」を作成するが、議員に対してどのように投票するべきか(そして何故そうなのか)を提起される修正案それぞれについて指示するものだった。(通常、単一のテキストがあるのではなく、提案されたテキストと一連の修正案があり、それぞれについて投票があった。)この際の投票リストは600ページを超えるもので、これは立法の1セッションに過ぎなかった。想像がつく通り、ほとんどの議員は何について投票しているのか知らないし、普通の市民は彼らが投票しているということにすら気がついていない。これは必ずしも不透明であるべく設計されているということではない(もっとも、商業的・政治的な目的のために有用ではあったし、操作されていたことは疑いない)。私たちの立法の複雑さは私たちの世界の複雑さを反映している。2008-9年にかけての金融危機の後、米国政府はドッド‐フランク法によって対応した。地上のだれもそれを理解しなかったし、全てを読むことすらなかった。というのもそれはほとんど1,000ページに及ぶもので、関連する規制は13,000ページにもなるものだからだ。
残念なことに、複雑さは権力の不均衡を作り出すもので、何よりも社会を運転するルールに影響を及ぼす権力の不均衡を生み出し、そのルールは更に強い権力と影響力を生み出すのだ。利害の集中先、通常は企業だが非常に裕福な個人を含む者たちは、私たちよりも複雑さを扱うことに長けている。彼らはイシューを理解し、主張を展開するためのチームを買い上げるための資源を持っているばかりか、より広い範囲の時間と空間に権力を及ぼすことにも長けている。何百、何千マイルと離れた権力の座にロビイストを送り込み、彼らの利益を持続的に追い求めることに。
複雑さーーそしてその一部としての相互接続性ーーは権力の集中を更に後押しした。今日ではEUに暮らしていれば自分に関係のある法と規制の半分以上は自分の国の中央政府ではなくブリュッセルで作られている可能性が高く、その一方、過去50年の間に国内では権力は確実に地方から中央政府へとシフトした。これはインドネシアからブラジルまで世界中にあてはまることだ。
このような中央集権化は、文字通りの意味でも象徴的な意味でも投票者からルール作りを遠ざけるという意図せざる結果をもたらすもので、それは特殊な利害関係者が影響力を及ぼしやすくする。企業にとって、連合が存在する50の州にロビイストのオフィスを置くよりも、ワシントンDCにひとつの大きなオフィスを置くほうが簡単である。しかし一般市民にとってはそうではない。近場で取り決めが行われるときのほうが、話についていき、そしてその取り決めに影響を与えることが簡単なのだ。
政治家と官僚は有権者のために公共の利益を守り、追求する責任を負っているが、彼らは現代社会の増大する複雑性を扱うのに苦闘している。そしてそう望んでいる場合であっても、外部の利害関係者に抵抗することがますます難しいと感じるようになっている。これは現代の民主主義に対する根本的な挑戦だ。だが、このより大きな問題点は私の関心の中心ではない。それよりも、この気が遠くなるような複雑性とデジタル時代の情報への規制との関係について考えてみたい。
デジタルテクノロジーは複雑で、動きが速く、根本的に抽象的だ。子どもがお腹を空かせるとか、公園が建設されるといったことと違ってデジタル政策は見えやすくもないし人気のある政治上の大義ではない。争点になる問題は価値判断を必要とするもので、例えばインターネットが頼みにするビットを伝送するケーブルを誰が所有し、コントロールするべきか、とか、著作権法の変更で微妙だが重要な形でメディアコングロマリットと、アーティストと一般公衆の間のお金と影響力の配分を変更する、といったものだ。そしてデジタル情報は非常に大きな国際的なネットワークを必要とするため、規制も超国家的なレベルで決定され、しばしば日々の政治的なプロセスからは遠く離れた僻地の特権的なジュネーブのような場所でその決定が行われる。結果として、外部からのチェックを減らし、立法をテクノクラートと企業のロビイストと彼らの特殊な利害に委ねてしまうことになる。
青い目、親切そうな顔立ち、強いアメリカ英語なまり。Jamie Loveが話すまでは、あなたにとっては彼は学者か官僚だと想像するのは簡単だ。あるいは、スマートな外見から企業のエクゼクティブだとすら思うかも知れない。でも一度彼が話すのを聞けば、その印象は変化する。彼から立ちのぼる情熱、そればかりか怒りまでもが、その鋭利な知性と共に、彼の口にする一語一語からも明らかだ。それは「情報戦争」の前線で難しい諸問題に何年もの間顧みられることもないままに取り組み続ける中から生まれたものだ。
1990年中盤に始めて、ほとんど独力で、彼はデジタルの未来が形づくられる会合や交渉に介入するべく外国へ来訪した。他の誰よりもずっと先に、彼はそれが情報時代の鍵となる規則が形成される決定的な瞬間であることに気がついた。ほとんど誰も何が起きているかを見ても、報道してもいなかった。少しずつ、彼の唱えた不平や、行った講演や執筆した記事が他の人々を変え、現在ではこれらの諸問題についてのずっと広い層からの理解が存在している。もっとも、まだ戦うべき諸問題が存在してもいるのだが。
私は2004年の9月にJamieに最初に会った。「情報分野のアクティビズム」にその前年ぐらいから興味を持ち始め、その分野について知り始めたところだった。ジュネーブで行われるあるイベントについて何かのきっかけで知った。運営者のほとんどは米国にいるようであり、彼らに欧州で会うのは心が躍ることだったし、講演者のリストは素晴らしかった。そのイベントは「WIPOの未来」と題され、CPT(Consumer Project on Technology)(テクノロジーに関する消費者のプロジェクト)という名称の、Jamie Loveと彼の妻であるManon Ressの率いる団体によって主催されていた。
こうしたこと全部について無知だったので、WIPOとCPTについて検索しなければならなかった。世界知的財産機構は国連の機関で「知的財産」を振興することに全存在が捧げられているのだった。これまでに読んでいたものから、知的財産というのは名前が示唆するほどにはそこまで臆面もなくポジティブなものではないということを私は知っていた。私はジュネーブに行ったことはなく、贅沢さと湖以外にこれと言った連想することもなかったが、安い航空券とユースホステルがあったので、行ってみることにした。イベントはかなり小規模で、50‐60人ぐらいの人がいる程度だった。
1990年代後半には、世界貿易機構(WTO)は反グローバリゼーション運動のおかげで人々に広く知れ渡っていたが、WIPOは今日でもほとんどの人にとって未知のままだ。だが、WIPOこそインターネット時代の数多くのルールが条約に転換され、加盟国が立法化を義務付けられた場なのだ。米国のデジタルミレニアム著作権法やEUの著作権指令といった法や指令は1996年のWIPOの条約から直接的に導き出されるものだ。あなたはこれらの法や指令についても聞いたことがないかも知れない。だが、これらはYouTubeやTiVOやその他様々なサービスを通じてデジタル時代のあなたの経験を規定している。
企業の利害によって情報技術の構造を形作ることは、新しいことではない。19世紀には電報に、20世紀にはラジオとテレビに、そういう事があった。1990年代の新しさはインターネットだ。世界中をこれまでよりもずっと親密につなげ、従来の何よりもよりオープンで、より民主主義だったが、みんながこれを好んだわけではなかった。「知的財産」にはより巨大な利害がかかっていた。
ほとんど10年近くの間、JamieとManonはほとんど彼らだけで苦闘を重ね、誰にも知られず、資金提供もほとんどなかった。彼らはメジャーレーベルやメジャースタジオや販路を所有するメディアコングロマリットのためのロビイストが1996年のWIPO著作権条約を不正にねじまげるのを見なければならなかった。この条約は著作権がどのようにインターネットに関して機能するかを設計するものだった。だが、彼らは少しづつ人々の意識を高め、他の人の加勢を受け、分析や挑戦や講義をするようになって行った。
このような困難な領域では、ほとんど勝ち目のない戦いで、成功は小さく妥協を伴う:そこここへの規定の修正、悪さの度合いの少し低くなったルール、条約の失速や、場合によっては阻止(それも通常はほんの少しだけ悪さの度合いの低い何かによって代替されるだけに終わってしまう)。これはニュースの見出しやテレビ番組にうってつけのドラマではない。暗闇の中での仕事だ。来る年も来る年も、心が麻痺するような難解な法律文書を読み、その下にある富と権力の作用を見ること。役人に対して文言が何を意味しているか、どうして改訂されるべきかを何度も何度も繰り返し説明すること。そしてこの役人はいい時でもせいぜいやや理解を示す程度で、最悪の場合には支配的な利害関係者と利害が一致しているからというまさにその理由でその職に就いているのだ。
だがJamieと彼の進化する連合体は変化をもたらした。Jamieは放送についての条約を阻止することができた。この条約は、そう、お察しの通り放送事業者によって提案されたもので、番組についての新しい、特別な独占権を与えるものだった。別の時には、連合体は、視覚障がい者やその他の障がい者が著作物にアクセスするためのよりよい支援を提供するような法的な例外規定を追加するように役人を説得した。だが何ということだろう、こうしたすべての仕事の結果のひとつは、ルールが形成される仕組みを変化させることだった。こうした諸問題についての米国の真の権力主体であり、ほとんど完全に主要な企業の利害の産物である米国通商代表部は、「知的財産」とその他の重要な情報規制を、WTOやWIPOのような国際的な議論の場から、米国とロビイストがより容易に意思を通せるような二国間交渉の場に少しづつ移転させた。
既存の音楽作品の録音物の著作権を延長するEU指令についてディベートをするのを見るために、学者として欧州議会へ赴いた2009年に、私はこの変化の強力さをはっきりと知ることになった。このEU指令は、考えうる中で最もあけすけな形で党派的なーーことによると腐敗してすらいたーー法の改変だった。50年の著作権に20年か40年を追加するということは、端的にバックカタログに独占権を拡張するということだった。それは実質的にはEU市民に対する衝撃的なほど逆進的な課税で、数社の多国籍レコード会社(ソニー、BMG、ユニバーサル・ミュージック・グループ)の便益と、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、U2のような一握りの大成功したアーティストの便益とのためだった。これは新しい音楽を作るクリエイターにインセンティブと報酬を提供するという著作権制度の目的そのものに反していた。1 2009年に著作権が延長されたからという理由でビートルズがタイムマシーンに乗って1965年にもうひとつアルバムを録音するということはありえない。
そこで私はこれが誤りだと説得するべく議員たちに会いに行った。レコードレーベルと権利管理団体はブリュッセルに常駐するスタッフがおり、ロビイングも上首尾に行っていた。私はおそらくはその議員たちの多くにとって、彼らが会った人の中で唯一、反対サイドのための議論をする人間だった。この指令を提起した委員ですら、感心を持ったグループとの27回の会合の中で、26回はその指令を推進する側とのものだったと私に対して認めた。(例外は消費者連合 (Consumer Union)とのものだった。)英国の労働党の議員のひとりで、彼のグループの立場を確立するのに重要な役割を果たしている人を私が訪ねた時、彼は長い著作権に反対する人がいることにあまりに激怒し、私にどなりつけ、彼のオフィスから物理的な力でに私を押し出しかけた。後に私は、彼が長年音楽産業で働いていたことを発見した。彼は長年かけて培われた信念以外の何ものにも突き動かされてはいなかったが、この件の実体について耳を貸さなかったことも確かだった。
Footnotes
Section titled “Footnotes”-
この延長は新しい録音物の著作権も延長した。しかしながら、この決定のインセンティブは見当違いなくらい小さい:アーティストにとっても投資家にとっても、50年かそれ以上先の未来に得られるかどうか不確実な小さな額の追加的収入は経済的に意味がない。 ↩